嘘のコツ
「正直は最善の策」という言葉があります。
物心ついた頃から嘘と付き合ってきた「天性の嘘つき」であるぼくから見ても、この言葉は真実に間違いないと言えます。
なぜなら、嘘をつくという行為は、莫大なリスクを負う可能性があるからです。
ハイリスクハイリターン、あるいはローリスクハイリターンな嘘を好む人はいるでしょう。
もちろん、その多くが犯罪行為、あるいは非難されてしかるべきものかもしれませんが、ある種の必要悪とみなされる場合も少なくないでしょう。
この記事でそういった嘘の是非について云々言う気はありません。
ぼくが話題にしたいのは、ハイリスクローリターンな嘘です。
ハイリスクローリターンな嘘を一言で言い表すならば、「その場しのぎ」などが適当でしょう。
先ほどぼくは「天性の嘘つき」だと自称しましたが、ぼくが親しんできたのはこのその場しのぎの嘘の方です。
ぼくは天才経営者でも天才詐欺師でもありません。
それでも、数えきれないくらいの嘘をついてきました。
「どうして嘘をついたのか?」
これもまた、数えきれないくらい聞いてきた問いです。
この質問(詰問、といった方が的確ですが)には、こういった答えを返したことが何度かあります。
「分からない」
はい。嘘です。
正確には、「嘘だった」というのが正しんですけどね。
「分からない」って言った瞬間は確かに分かってないんですよ。
なんで分かってないのかというと、考えをまとめる時間がなくて混乱しているからです。
その場しのぎの嘘をつく理由といえば、ぼくの場合はほとんど自分のプライドのためです。
「失敗したのを怒られたくなかった」とか、そういった感じの理由ですね。
この理由を抱えた人間が「どうして嘘をついたのか?」なんて聞かれた時に「失敗したのを怒られたくなかったから」なんて咄嗟に返すことはそうそうあるもんじゃありません。
「どうして嘘をついたのか?」という問いは、嘘つきに対する王手です。
この問いを突き付けられた嘘つきは、多くの場合混乱します。
羞恥心や罪悪感に起因するものですね。
茫然自失です。
そりゃ、「分からない」とも言いたくなりますよね。分からないんですもの。
ここまで挙げてきたような理屈を知らないうちに嘘つきから卒業するのが普通の人間(便宜的にそう言わせてください)です。
ぼくのような嘘を常習している人間、つまり正直者になり損ねた人間は、嘘を積み重ねていくことになります。
嘘をつくには、頭を使います。
ついた嘘を覚えている必要がありますし、ついた後のリスクやリターンを考えておく必要があるからです。
そういう頭の使い方をしていると、疲れます。当然です。
それに、これが致命的なことなんですが、疑心暗鬼になります。
嘘つきがその能力の代償に獲得するのが、巨大な自我です。
この「巨大な自我」という言葉、説明に困るんですが、疑心暗鬼だとか自意識過剰だとか、そこから派生した無気力だとか卑屈さだとか、そういったものだと理解しておいてください。
こうなってしまえば、落伍者まっしぐら、まっとうな人間とは言えません。
今のぼくです。
さて、「嘘のコツ」なんて題をつけておきながら結局はいつもの自分語りでした。
この題が嘘でした、なーんて感じの陳腐なオチです。
題を先に考えて、勢いに任せて書いちゃうからこういうことになるんですよね。
この期に及んで嘘つきの言い訳をするとすれば、「そんなことのために」と言われるような、他人からすればちっぽけな問題が、我々嘘つきにとっては大問題なんだ、ってことくらいしか言えませんね。
そういう風に育ってしまったんです。
今日も今日とて、色々なものを欺きながら、生きてるだけで大赤字ですね。