今日も物質

必死で存在しています。

「界隈」という言葉に無縁の人生を送ってきた

「界隈」、「いつメン」、「ズッ友」、どう呼んだっていいんですが、そういったものに無縁の人生を送ってきました。

 

いわゆる「隅っこで本読んでる」タイプの人間なので、まず小さい頃から友達が少なかったですね。

 

学年全体が30人足らずくらいの田舎の小中学校に通っていましたが、「仲の良い友達」というのはほとんど皆無でした。

 

高校生になって、「運動部に入りたくないから」という非常に不純な理由で演劇部に入部しました。

 

演劇部、楽しかったです。

 

舞台に立っている間が一番楽しかったですね。存在を謳歌している、という実感がありました。

 

ただ、ぼくにとって演劇部が「居場所」だったかと言えば、必ずしもそうではありません。

 

いつだったかの記事でも言及した気がしますが、ぼくは努力というものが人生に支障をきたす程度に苦手なんです。

 

演劇といえば稽古が必須なわけですが、それに思うように打ち込めずに、部活動に疎ましさを感じるようになっていました。

 

じゃあクラスの方はどうだったのかといえば、やっぱり「隅っこで本読んでる」でしたね。

 

いや、教室で本を読む行為をどうこう言いたいわけじゃあないんですが、ぼく自身その状況に若干の劣等感を感じてしまっていましたから。

 

高校生になると、母数が増えただけあって、ぼくと仲良くしてくれる人も相応にいました。

 

 

それでも、ぼくが「界隈」に入ることはなかったんですよね。

 

ぼくと仲がいい人は他にも仲がいい人が当然いたし、集団で移動するときは決まって2,3人横隊の後ろで金魚の糞をやっていました。

 

そして受験勉強の時期に差し掛かるころにぼくは倫理だの哲学だのにハマり、自我をどんどん巨大化させていました。

 

 

で、大学に入ったわけなんですが、ここでもやっぱりぼくが孤独から脱することはありません。

 

ぼくの人生で一番自発性を発揮したのが大学1年2年の頃だと思います。

 

この時期、ぼくの周りには人がいました。

連帯して、共通の目的に向かって色々やってたと思います。

 

ここにきてようやく、「コミュニティに真の意味で参加するにはその場に突っ立ってるだけじゃダメなんだ」と気づいた……のかなぁ。

 

「界隈」の中にいる人たちって、必ず(?)どこかしらの部分で積極性を発揮しているはずです。

 

「カラオケ行こうや」「おう行くべ」、「旅行しようや」「どこ行くべ」といった風に。

 

「界隈」に参加できない人は、誘わないし、誘われません。

自分の方から他人を遠ざける壁を作るタイプが多いんじゃないでしょうか。

 

 

ぼくが「界隈」に参加できないのは、ぼくが「陰キャ」だからだ、と思っていた時期があります。

しかし、これは少し違います。

 

だって、「陰キャ」の「界隈」なんていくらでもありますからね。

 

「コミュ障」のコミュニティだってありますよ。

 

これらの界隈に属せないのは、結局は「自分から入ろうとしてないから」に尽きます。

 

そうするのが面倒だ、好む界隈がない、そもそも人と喋るのが怖い、などなど、理由、言い訳は沢山ありますよね。

 

 

ぼくらのような人種は、普通に暮らしている人々からすれば想像もつかないような存在である場合が多いかと思います。

 

「界隈」の人々は忙しいですし、何より、我々は言葉を発さないですからね。

気づかれないのも道理です。

 

見えないところで、聞こえないところで、「わたしもいれて」を喉に留めながら死んでいく人々も無数にいるんですよねぇ。それこそ、想像を絶するほどに。

 

 

 

はい、思いっきり暗い話でした。

酔って書いたから、仕方ない仕方ない。