ゲームを作ろうと考え始めてから悠久の時が流れた
寝る直前って色々と妄想が捗るじゃないですか。
捗る、というか、体調によっては考え事をし過ぎて眠れないなんてこともあるわけですけど、少なからぬ人々が「寝る直前の妄想」を楽しんでいるんじゃないかと思います。
学校に行かずバイトもしてない自分のような人間にとっては、妄想、想像の領域が最後の砦であり、持ちうる全てです。
とすれば、それを何らかの形で表現したい、というのも不自然な心理ではないはずで、ぼくの場合はそれをゲームにしたいと思ったわけです。
「悠久の時が流れた」とか題をうってますが、こういうことを考え始めたのは実はそんなに昔のことじゃないです。
一年も経っていないのでは? 多分経ってません。
そしてその一年間、ゲームを作るための努力をほとんどしてません。
プログラミングをかじり始めたのは1年半くらい前のことですが、三日坊主を3,4回やっただけです。ほとんどモノになってません。
やったことといえば、それこそ妄想想像を布団の中で練ったことくらいです。
「練った」というのも言い過ぎかもしれませんね。
うーん、書き物をしていると無限に予防線を張り続けてしまうのがぼくの悪癖です。
この「悪癖です」もある意味予防線ですし。
考えすぎ、保身しすぎ、というこの体質から、なんとか面白いアイデアが浮かんでくれねぇかなぁ。
これまでの記事にもたくさん書いてきましたが、ぼくは「その作品形態を採る必然性がある作品」だとか「地に足のついたファンタジー」だとかが好きなので、自分で作るときにもそういう作品にしたいんですよね。
2月に『ドラゴンズクラウン・プロ』という、リマスター版のゲームがでますが、この作品について書くときに「その作品形態を採る必然性がある作品」について書こうかなぁと思ってます。
「ゲームである必要があるゲーム」ですね。
もし自分でゲームを作るとしたら、そういう理念のもとに作りたいです。
結局この記事は何が書きたかったんだろう。
明確に話題を決めておかないと自分語りやっておしまいってなっちゃいますね。
まぁブログだしそれでいいのかもしれないけど、なんか含蓄のあること言ってバズりてぇなぁという気持ちも大きいです。
含蓄のある言葉が突然浮かんできてほしいし、面白いゲームのアイデアが突然浮かんできてほしいし、「ぼくがプログラミングやりますよ!」って言ってくれるエンジニアさんが突然生えてきてほしい。
なにもかも自分でやりたくねぇなぁ。
このままでは本当に悠久の時が過ぎてしまう。