『ドラゴンズクラウン』から見る「ゲームとは何か」
お久しぶりです。
ケチャップです。
10日間ほどブログ更新してませんでした。
ずっとモンハンとかスプラトゥーンのフェスとかやってましたね。
まぁ今後も不定期更新になっていくんじゃないかなぁと思います。
で、今日の話題なんですが、明日2月8日にアトラスから発売される『ドラゴンズクラウン・プロ』です。
数年前にVitaとPS3で発表されたベルトスクロールアクションのリマスター版ですね。
今回は、常々ぼくが好きだと表明している「その作品形態を採る必然性がある作品」、とりわけ「ゲームである必然性があるゲーム」について、『ドラゴンズクラウン』の他にもいくつか例を挙げながら書いていこうかなと思ってます。
色々と御託を並べると思いますが、要するに「『ドラゴンズクラウン』はいいぞ。」ということを述べる記事です。
【いよいよ明日発売!】PS4『ドラゴンズクラウン・プロ』TVCMです。
— アトラス公式@ドラゴンズクラウン・プロ2月8日発売! (@Atlus_jp) 2018年2月6日
公式サイト⇒ https://t.co/FPEYct8go5 #ドラクラ pic.twitter.com/WLxFYrtZ34
では、目次です。
ある作品が「ゲームである」ということ
ぼくの考える「ゲーム」性
まず、ぼくが言う「ゲームである」というのがどういった定義の元に語られているのかを整理しましょう。
ぼくが「この作品はゲームという形態を採る必然性があるな」と言うとき、ぼくが注目しているのはその作品の追体験性と「わたし」性です。
まずは追体験性から説明していきます、といっても、ゲームがもつこの性質についてはもはや語るまでもないことでしょうか?
登場人物への感情移入や臨場感の演出に、ゲームという機構が非常に良い働きをすることがありますよね。
後ほど、この追体験性に優れた作品の例を挙げてみます。
さて、もう一方のゲーム的な要素に「わたし」性という言葉を使いました。
これはどういう意味かというと、その作品の主体がまさしく「わたし」である、ということです。
分かりづらいですね笑。
つまり「わたし」が主人公をやってる作品のことです。
ゲームからプレイヤーに向けて、「あなた」「きみ」と言ってくる作品ですね。
まぁ究極的には追体験性だの「わたし」性だのと用語を作る必要はなくて、「ゲームという形態の特徴は「主体性」だ」で事足りるんですけどね。
でもなんとなく、追体験性に秀でた作品と「わたし」性に秀でた作品とでは、使う神経が違うかな、と思って区別してみました。
では、具体的にどんな作品を指してこういっているのか、例を挙げてみましょうか。
追体験性に優れたゲーム、『STEINS;GATE』と『Fate/hollow ataraxia』
ゲーム、とだけ言ったとき、多く想像されるのはRPGじゃないかと思いますが、ここでぼくが追体験性に優れたゲームとして紹介する2本は双方アドベンチャーゲームです。
『STEINS;GATE』と『Fate/hollow ataraxia』の2本は、ゲームという形態を採ることで、作品を受け取る人間の没入感を高めることに成功しているゲームです。
まず『STEINS;GATE』の方から説明しましょう。
このゲーム、知る人ぞ知る傑作アドベンチャーゲームであり、長い間多くの人々に愛されてきた作品です。
アニメ展開が盛んな作品でもありますが、この作品は「ゲームである意味」があります。
ポイントは、この作品のルート分岐です。
『STEINS;GATE』では、無数のADVが採用している「選択肢」というシステムを、独特な形に変容させています。
それは、作品の主人公である岡部倫太郎がもつ「携帯電話」です。
『STEINS;GATE』では、この携帯電話を用いたシステムを「フォーントリガー」と呼びます。
例えば、登場人物からの電話に出るか否か、あるいは電話をかけるか否か、メールにどう返信するか、といったように、プレイヤーは主体的に岡部倫太郎を追体験することになります。
携帯電話という具体的な形をとることにより、岡部倫太郎の選択とプレイヤーの選択が高いレベルで同調し、多くの場面で感情移入を誘います。
『STEINS;GATE』は、ADVが必ずと言ってもいいほど採用する「選択肢」というシステムを利用して、ゲームとプレイヤーとの距離をぐっと縮めることに成功しているゲームなのです。
『Fate/hollow ataraxia』は、前作である『Fate/stay night』がサウンドノベル寄りの作品だったのに対して明らかに「ゲーム」の味付けが施された作品です。
例として挙げといてなんですが、詳しくしゃべるとネタバレになりますねこの作品。
基本的には前作と同じサウンドノベル形式なのですが、構造上のある一点だけで、「これはゲームだ、そうである意味がある」と言わせる力がある作品です。
……としか言えませんね。
「実際に読んでみてほしい」としか言えません。
このゲームは「読む」ゲームなんですよ。
これら二つの作品は、異なるアプローチではありますが、「上質な追体験」をプレイヤーに提供するという点では共通しています。
双方傑作ですので、是非。
「わたし」のゲーム、『UNDERTALE』と『ドラゴンズクラウン』
「わたし」を主人公とするゲームの代表として挙げたいのは、『UNDERTALE』と、本題である『ドラゴンズクラウン』です。
『UNDERTALE』から紹介しましょう。
まずはこちらのスクリーンショットをご覧ください。
はい。
このゲームもまぁネタバレが恐ろしいゲームなので多くは語れませんが、主人公は「わたし」であり、「あなた」である、ということが重要です。
この『UNDERTALE』はゲームの特異点みたいなものだと勝手に思ってるので、色々な人にやってほしいなぁと思います。
出来れば、実況動画や攻略サイトを見ずに、「あなた」自身でプレイしてみてほしいですね。
で、本題の『ドラゴンズクラウン』ですね。
本作の非常に特徴的な点として、「ゲーム中にずっとナレーターが喋ってる」というのがあります。
プレイヤーキャラクター(「わたし」です)はほぼ全く喋らず(攻撃や被ダメージのボイスとかはありますよ)、ストーリーはずっとナレーターが名調子で語りあげてくれます。
ナレーターはずっとプレイヤーに向けて「君は」と語りかけてきます。
この語り口は、ゲームブックだとかTRPGに特徴的なものです。
電源ゲームでいえば、『世界樹の迷宮』シリーズなどが有名でしょうか。
「君は○○してもいいし、しなくてもいい」だとか、「さあ、○○したまえ」だとか、プレイヤーの主体性を強調する語り方ですね。
ゲームという作品形態のテーマは究極的には「主体性」だ、といったことを言いました。
そういう意味では、ゲームが「君は」と語りかけてくる、というのは、シンプルですが非常に強力で魅力的な演出なんですよね。
ぼくは、上にも貼った『ドラゴンズクラウン・プロ』のCM冒頭に登場するレッドドラゴン戦でのナレーションが本当に大好きなんですよ。
あの高揚感ったら、比類がないゲーム体験です。
色々と言葉を並べてべた褒めしたいところですが……
「ここから先は、君たちの目で確かめてくれ!」ということで。
『ドラゴンズクラウン』から『ドラゴンズクラウン・プロ』へ
『ドラゴンズクラウン・プロ』に個人的に一番期待してるのは操作性と処理周りだったりします。
このゲーム、本編の物語が面白いのは勿論なんですが、ハクスラ要素にやべー量のエンドコンテンツもあって、アクションゲームとしての出来もなかなかなのです。
私が『ドラゴンズクラウン』をプレイしているのはVita版で、若干処理落ちでSEが飛んだりするんですよね。
まぁハードを相当長い間使ってますし、摩耗しているってのもあるんですが。
PS4でプレイできるならば、その辺りの心配はもう無用かなぁと期待してますね。
逆に、Vitaのタッチパネルでの操作に慣れきってしまっているので、PS4のコントローラーの操作性がどんなものなのかというのも気になりますよね。
コントローラー中央のタッチパッドをどう使ってるのかがキモかなぁ。
お金が足りてないので予約購入はできなかったんですが、かならず限定版と先着購入特典を手に入れたいところですね。
こだわりぬいたサントラに、ブックレット、そして「動くモンスター図鑑」!
しかもゲームブックまで付いてるというんですから、期待値がかなり高まってますよ。
プレイするのが今から楽しみですね。