今日も物質

必死で存在しています。

最初にVtuberをユニット化した人が俺ってことにならねぇかな

ブログを更新する度に「お久しぶりです」と書いている気がします。

お久しぶりです。ケチャップです。

 

えいやっと始めたアルバイトを3日でやめ、再び自宅の座椅子に舞い戻りました。

 

バイト先に辞める意志を伝えたのが10日前、今度はどうにか長続きしそうな職を探さねばと思ったところに都合よく魅力的なバイト募集のチラシを見かけたのが5日前、いざ先方に電話をかけてみるも、高圧的な態度に心が折れてしまったのが昨日です。

 

「人並みの生活はできないだろう」という、いつ抱いたかも知れない疑念が確信に変わりつつあります。とてもつらい。

 

そういうわけで、もう、普通にアルバイト探したり就職を試みようとするのを、やめます。

ムリです。

 

いわゆる在宅ワーカーになるんでしょうか。ライターなどの仕事を請け負いながら、食い扶持を稼いでいくことになるのかなぁと思います。

まぁ家から出る出ないは必ずしも問題の本質ではなく、ほとんどぼくのやる気の問題なんですよね。そして、在宅ワーカーにとって最も重要なのはそのやる気を自分で管理できること。

じゃあ駄目じゃんって感じですが、もうそろそろ人生の瀬戸際なので、すこしずつでもものにしていくしかないです。

なんか毎回手を変え品を変えこんなことばっかり言ってませんかねぼく。

うーん。

 

 

で、タイトルの話に移ります。前置きとは全然関係ない話です。いやちょっとは関係あるかな?

 

Vtuberバーチャルユーチューバーのユニット化を最初にやりだした人は相当頭いいなぁと思うのです。

 

バーチャルなキャラクターたちを多数抱え、彼らによる生放送などのコンテンツをウリにしている企業、企画のことですね。

具体的に言うなら、にじさんじさんや.LIVEさんが例として挙げられるでしょうか。

にじさんじさんは「バーチャルライバー」という語を用いていますね。

 

バーチャルユーチューバー」「Vtuber」という呼称がすっかり定着し、もはや一次的な「バズり」を経ない日常の一場面と化した現在(もちろん、これらの界隈を積極的にないし消極的に注視している層にとっては、です)、こうした「ユニット」は非常に強いコンテンツ力を持っています。

 

なぜか、というのを考えてみると、この「ユニット」、そして「生放送」という媒体が、「コンテンツを再生産し続ける」という点に特化しているからだ、という結論に至りました。

 

まず、彼ら(女性が圧倒的に多いですが、この呼び方で統一します)は複数です。

コンテンツを生む主体が複数ですから、掛け合いや彼らの関係性自体など、表現の幅が抜群に広くなります。

「いくらでも内輪ネタが使える」土壌ができている、と言えば分かりやすいでしょうか。内輪ネタは当然内輪にしか通じませんが、その分、内輪にとっては非常に強力なコンテンツです。そして、彼らユニットを支えるのは、毎回入れ替わる初見視聴者、ではなく、固定ファン、つまり内輪の一員であるわけです。

生放送という媒体は、いち視聴者をユニットの内輪に迎え入れるのにちょうどいい構造ですね。視聴者がコメントし、放送主たちがそれに反応する。友人関係にも似た安心感がそこにはあることでしょう。

そして言うまでもなく、コメントと、コメントへの反応は、立派なコンテンツです。

 

 

実際、実況者、生放送主のユニットというのは、バーチャルユーチューバー以前にも存在し、根強い人気を獲得してきています。声優さんたちのラジオなども、ほとんど同じ仕組みだと言えるでしょう。強力なコンテンツであることはすでに実証済みだったわけです。

 

バーチャルユーチューバーが流行し受け入れられたところに、二次元美少女のとっつきやすさでもって最初の視聴者を獲得し、固定ファンを得てコンテンツを再生産し続ける。うまい、としかいいようがないですね。ぼくが最初に言い出したことになんねぇかな。

 

 

今回の記事は以上です。

バーチャルユーチューバー、というかVRについては色々と書きたいことがあるのですが、また次回以降ということで。

「大成するライターは70%の出来の記事を毎日上げ続けられるやつだぞ」と友人に発破をかけられたので、そう遠くない未来に書きます。

 

 

それでは。