そうめんがおいしかったので気分がいい
最近めっきりお酒を飲まない。ケチャップです。
気分がいいとは言ったものの、一日中座椅子に座ったままでロクに体を動かさないものですから、毎日この時間にはかなり疲労が蓄積しています。
そんなに座りっぱなしで一体何をやっているのかって感じですが、その実なんにもやってないんですよね。
困ったことに、私がなんにもしなくても時間やエネルギーは刻一刻と消費されて言っているのです。本当に困る。
例えば、例えばですよ。一時間あたり10万円の価値を生み出せる人がいて、その人がもっともっと時間を必要としているとするじゃないですか。
で、ぼくがその人に一時間を2万円で売ってあげるわけです。ぼくの時間は売ったぶん消えてなくなり、その人は買った時間を価値の増産やその改良、あるいは休憩に充てることができる。winwinじゃあないですか。
この想像をし始めてすぐに、いつ読んだかも忘れてしまったミヒャエル・エンデの『モモ』を思い出しました。というか、たぶん『モモ』そのまんまの想像ですね。
たぶん、読んだ当時のぼくは「自分の時間を銀行に預ける(売る)大人」像にそこそこ衝撃を受けたはずです。なんて馬鹿なんだろう、とも思ったんじゃないでしょうか。
そのぼくが今や、まさしくその大人に近づきつつある。
正直言って、かなりショックです。いつからこんなに、自分を大事にしなくなったんだっけ。
いやいや、自分を大事にしなくなったのではないのですよ多分。
別に、「自我なんていらない」「さっさと人生終わってほしい」という思考ばかりが「ぼく」ではないのです。
「自我が消えるのが惜しい」「存在を謳歌したい」と思っているのもまたぼくなのです。「ぼくには価値がある」とも思っているでしょう。
そう、価値がある。生きているだけで賃金が発生して然るべき。無償で5000万円欲しい。結局お金がないのが全部悪いんですって。
最近ずっとお金がどうのこうの言ってますね。語彙も話題もどんどん少なくなってる気がする。
まぁ貧すれば鈍するということですよ。つらいなぁ。