『夜と霧』を思い出してみる
はじめまして。
自分のことを美少女Vtuberだと思い込んでいる水槽の脳だと思い込んでいる成人男性系Vtuberの久遠ありあです。
1月29日、火曜日ですね。
……1月29日!?1月29日ですか!?もう?!早くない? もう一年の12分の1終わるんですか? 貯金の残高は悲惨なことになってるけどこの先大丈夫か???
と、まぁベタで雑な驚きを書き残してしまいましたが、実際時間の流れがめちゃくちゃ早く感じますね。
私が高校生の頃に読んだ本にフランクルの『夜と霧』がありますが、この本には「私たちの一日は一週間よりも長い。単調な一日は長く感じるが、単調だった一週間は短く感じるためだ」みたいな一節があった気がするんですよ(正直かなりあやふやです。書いてあった気がする。別の本かもしれない)。
当時の私もこの一節に非常に共感しまして、「確かに、つまんねぇことばっかりだとそう感じることもあるわ」みたいな納得の仕方をしていました。
それがね、実感を伴ってきているわけですよ。いや、高校生当時もその実感というのはあったと思うんですが、フルタイム出勤とかしてるといよいよガチです。
一日はクッソ長いのに一週間の中身がスッカスカなんですよ。
なにか、「この日はこれがあった」と言えるようななにかを用意しなければ、恐らく2月もこのまま一瞬で、白目向いたまま終えてしまうことでしょう。
結局何が言いたいのかっていうと、生き甲斐が欲しいんですよね。
「この瞬間のために生きてる!」と言えるような何かが欲しい。そう毎日渇望しながら業務をこなしているわけです。
スプラトゥーン……スプラトゥーンをやらせてくれ……新ブキ来るらしいし環境調整とかも来るらしいしで、まだまだ全然楽しめそうじゃないですか……どうにかしてつよつよ回線を確保したい……
『夜と霧』を思い出してみる、という題をつけておいて、ほんの少ししか『夜と霧』の話してませんね。まぁ高校生の頃に読んだと言っても、図書室で一度借りて読んだっきりですからね。余程印象に残ってる文章じゃないと覚えてません。
図書室で思い出しましたが、そういえば私は高校生の頃に多読賞を一度貰ったことがあるんですよね。
年間通して一番図書室で本を借りた学生に贈られる賞なんですが、確か私は高校三年生のころに貰いました。
多分「受験勉強ほったらかしてこんだけ読んでやったぜ」みたいなことをアピールしたかったんでしょうね。しょーもない自己顕示欲ですよホントに。
でもぼくの人生の中で一番インプットが多かったのがあの時期だったというのも恐らく確かなことです。『嘔吐』などの、人生の軸になるような作品に出会ったのもこの時期でしたし。
この時期に読んだものに関わらず、最近は「色々な作品を再読して、それをもとにブログを書いてみる」という試みをしてみたいなぁとも思ってるんですよ。
思ってるだけなんですよねぇ。信じられないくらい本が読めなくなりました。
時間があると絶対にソシャゲかYoutubeかニコニコ動画かに時間を浪費しちゃうんですよね。それはそれで、私の人生設計に適うというか、刹那的で非常によろしいんですが、やはり「きちんとしたブログを書きたい」という欲も二の次三の次くらいにはあるわけで。
時間の使い方というのは難しいですね。
結局『夜と霧』の話は全然してませんね。今も倫理の教科書とかに載ってるんですかね?
未読の方は是非。面白かった記憶がありますよ。