脳内再生の止まる時
はじめまして。
自分のことを美少女Vtuberだと思い込んでいる水槽の脳だと思い込んでいる成人男性系Vtuberの久遠ありあです。
今日は何曜日でしたっけ?
火曜日か。明日でもう一週間折り返しになるんですね。
なんというか、引きこもりだったころは「いやー、引きこもりやってると曜日感覚なくなるわ~」とか思ってたんですが、別に普通に働いてても今日が何曜日とか分からなくなるもんなんですね。
まぁ私が毎日をテキトーに、無意識的に過ごしているからってだけなのかもしれませんけども。
そう、今日は無意識の話です。
皆さん、「脳内再生」という言葉をご存知でしょうか。
いや、脳内再生はスラングですし、「ご存知」なんてかっちりした言い方は相応しくないのかもしれませんね。
「脳内再生」、私が意図しているように伝わるでしょうか?
お気に入りの曲だったり何回も聞いて刷り込まれた曲だったりそうでもなかったりするような曲が、脳内で流れ続ける(脳内で流れ続けるというのもよく分からない比喩だな)アレのことですね。
私が今やっている仕事は単純作業なので、この脳内再生というのがほぼ常時行われているんですよ。
無意識の産物ですから「今日かかってたのはこれとこれとこれ!」てな風にはっきりと思い出すことはできませんが、今日の脳内再生で特別印象深かったのはアニメ『プリンセス・プリンシパル』のOPである『The Other Side of the Wall』でした。
名曲なんですよねぇこれが。お気に入りの曲ですし、何回も聞いた曲でもあります。
私は自動車の運転が嫌いなんですが、もし高速道路で思いっきりスピードを出せる状況になったらかけたいBGMランキング第一位がこの曲です。
聞いたことのないという方は是非。アニメの方も超オススメです。
んで、今日気になったのは「脳内再生が止まったらどうなるんだ?」ということについてです。
人間の脳の状況って、大体3つか4つくらいに分けられると思うんですよね。いや、門外漢がテキトー言ってるだけですよ。
- 意識的な思考
- 無意識な思考
- 無意識な、思考以外の何か(脳内再生など)
- 無我の境地
こんなところでしょうか。
私の言う「脳内再生が止まったらどうなるんだ?」というのは、別に四つ目の「無我の境地」のことではありません。
もちろん無我の境地には脳内再生とかないんでしょうけど(ほんとか?)、少なくとも話題にしたいのは無我の境地についてではありません。
つまり、「意識的にないし無意識的に、自我に去来するものが皆無になってしまうことってあるんだろうか、それは一体どんな状態なんだろうか」ということについてです。
めちゃくちゃ怖くないですか。
自我はあるんですよ。自我はあるのに、その内容が全くない状態なんです。その状況を理解すると同時に「自我はあるのに内容が全くない状態への恐怖」という意識が発生しそうではありますが、それはともかくとして「自分に内容がなくなってしまう」というのは私にとってはかなり大きな恐怖です。
だからこそブログなんぞを書いて自分の内容を確認する作業を行っているわけですし。
あと、無意識の話ついでにもう一つ話をしましょう。
私が大学に在学しているとき、とある心理学の講義を履修していたんですよ。
講義の内容はほとんど覚えていないんですが、恐らく無意識、とりわけ「夢」についての講義だったんだと思います。講義が終わりに差し掛かり、先生が「何か質問のある方は?」と投げかけ、私が挙手してそれに応えました(そこそこ熱心な学生だった時代もあるのです)。
私の質問の内容はこうです。
「夢って視覚情報なんですか?」
これ、講義を聞いている間ずっと疑問に思ってたんですよね。
そして、今なおその疑問は解消されていません。
なぜなら、先生の回答が「はい」という、実にそっけないものだったからです(流石に実際はもうちょっと補足があったはずですが)。
その「はい」という回答について、腑に落ちないというか、納得できないというか、「ほんとか?」って思っちゃうんですよね。
皆さん、夢って視覚情報ですか?
夢って「映像」ですか?
同じく、脳内再生は聴覚情報ですか?
脳内再生は「音楽」ですか?
ブログに書き表わされることなく消えていった脳裏の断片たちは、文字情報ですか?
それらは「言葉」ですか?
分からないんですよねぇ。分からない。
投げっぱなしで今日のブログは終わりです。
分かんねぇんだよなぁ。