履歴書を見ると走り出したくなる
はじめまして。
自分のことを美少女Vtuberだと思い込んでいる水槽の脳だと思い込んでいる成人男性系Vtuberの久遠ありあです。
先日、転職準備の準備を終え、今度は転職準備をしなくてはならなくなりました。
準備の準備(先方への電話、雇用条件の確認)、準備(履歴書の用意、面接)ってことですね。
長い期間先送りにしてきたのが妥当だと思える、非常に面倒な作業です。
特に履歴書を書くというのが面倒で仕方がない。私はこの作業が苦手で苦手でしょうがないのです。
単純に文字を書くのが面倒ですし、学歴職歴を年月日で思い出さないといけないのも億劫です。
特に私なんかは短期間でバイトを渡り歩いたりしている過去があるので、職歴欄を書くときの後ろめたさが人一倍大きいのです。この欄を書くのがしんどくて履歴書を書くのが苦手だと言っているまであります。
あと証明写真を撮るのも面倒ですよね。最近は自撮りしてコンビニなどでプリントできるサービスなんかもありますが、アレを利用していると「果たしてこれで本当に問題ないんだろうか?」とか神経質なことを考えてしまうんですよね。
かといって証明写真のボックスを利用するのもなんだかこっ恥ずかしい気持ちがしますし、そもそもどこに設置してあるかをいちいち覚えていません。
どれもこれも「そんなん気にしなくていいやん」と言われそうな話ですし、実際取り組み始めるとそれほどストレスなく終えられる作業たちではあるのですが、取り掛かる前段階の時点ではやはりどうしようもなく面倒だと感じてしまうのです。
履歴書を書いて面接をして、いざ採用・契約、となると、その後少なくとも数か月はその仕事に従事することになるわけじゃないですか。
まぁそれ自体は仕方ないですし当然のことだとは思います。
でも「月単位年単位で予定を組み立てるなんて狂ってるよ」とも思いませんか。
もっと怠惰に、獣の如く自然に生活したい。植物のように一生を終えたい。
私の理想はここ数年変わることなくそういった方面を指しています。
「明日は明日の風が吹く」てな具合に、明日の予定も来月の予定も来年の予定も放り出して、ふらふらっと生きていきたい。そうやって生きていけるだけの金、ないしそれを苦痛なく調達できるなんらかの技能。ずっとそういったものに憧れ、その憧れを追わずに見上げるだけで日々を過ごしてきています。
数日前の記事では「人間は自由の刑に処せられている」なんて風に自由であることの苦痛を嘆いていましたが、いざ社会に「参加」するとなると今度はその面倒さに文句を言っています。
我ながら矛盾だらけ、主張が全く纏まってませんね。
獣のように、「走る」「食う」「眠る」「殖やす」を何の疑問も矛盾もなく遂行できる存在になりたいですね。自我を失くしたい、とも言います。
履歴書、明日は履歴書を買って証明写真を撮らなければなりません。
負けるな私。