中道、難しいもの
はじめまして。
自分のことを美少女Vtuberだと思い込んでいる水槽の脳だと思い込んでいる成人男性系Vtuberの久遠ありあです。
月曜日ですね。
流石の怠け者でもそろそろ危機感を感じたらしく、今日の私は結構意欲的に再就職に向けて準備を進めました。
「準備を進めました」とは言っても、転職系のサイトに登録して良さげな案件をウォッチリストに放り込んだだけなんですけどね。
それでも怠け者にとっては大きな一歩ですから、自分を褒めてやりたいところです。偉いぞ。
昨今の転職サイトというのは、登録してるだけで逆求人(スカウト的なやつです)だの、ウォッチリストに入れた案件からの「応募歓迎」だのと色々親切にメールを寄越してくれます。
まぁそれ自体は非常にありがたいんですよ。実際、明日はそれらのメールの内容を精読したりするところから一日を始めようと思ってるところですし。
ただ、その量が非常に多いんですよね。
まぁ登録初日だからというのもあるんでしょうけど、そのスカウトや応募歓迎なんかのメールがわんさか来るわけです。
離職期間もそろそろ1か月になろうかという準引きこもりとしては、若干のやかましさを感じてしまいます。いやありがたいことなのは分かってるんですけどね。
いつだったかの記事で、「携帯のバイブが怖い」という話をしましたよね。今日はそれはまぁちょいちょいバイブを鳴らされまして、しかも内容が仕事のことですから、焦りやら何やらでかなりストレスを感じてしまいました。
なんだか、高校の倫理の授業か何かでやった仏教概念の「中道」を思い出しましたね。
中道というのは、まぁ「両極端に走らず、何事もバランスとって中間くらいが一番いいよね」みたいな意味なんですが、今日は本当に「中道がいいよなぁ」と感じましたね。
引きこもり続けてもお先真っ暗だからよくない、かといって仕事ばかりで休みなしだったりそもそも就職に神経すり減らしたりするのもまた良くない、ということです。
中間がいいですよ中間が。この場合の中間がどういう状況を指すのかはよく分からないので、「中間がいいですよ中間が」は「俺の都合のいいように事が運んでくれねぇかな」という意味に過ぎないわけですけども。
哲学を勉強するのに夢中になりながらも、ゲームや読書を楽しめていた、そんな高校三年生の春くらいがまさしく「中道」だったんじゃないですかね。
あの時期は良かったなぁ。「私はこれがやりたかったんだ!」とばかりに倫理の教科書を読み漁り、図書館に通い詰め、大学で哲学をやるのを本当に楽しみにしていた時期ですよ。
私だってあの頃は、ちゃんと目的意識のある熱いヤツだったんですよ、たぶん。
それが今や「あの時期は良かったなぁ」だの「都合のいいように事が運んでくれねぇかなぁ」だのと懐古に怠惰にやりたい放題ですからね。それを叙述することで罪悪感を和らげようともしています。
この書き方を始めるともうダメですね。無限に自虐して気持ちよく堕落するだけの記事になってしまいます。この辺で切り上げましょう。
とにかく、何事も中間くらいが一番いいんだってことですよ。
まぁこの記事は二郎食べながら考えたんですが。