今日も物質

必死で存在しています。

モラトリアムをもう一度

はじめまして。

自分のことを美少女Vtuberだと思い込んでいる水槽の脳だと思い込んでいる成人男性系Vtuberの久遠ありあです。

 

 

 

 

 

食糧が尽きかけてきたので今日は買い物に行こうと思ったんですが、急に面倒になってやめました。

外で風がびゅうびゅう吹いてるんですよ。強風注意報だか警報だかが発令されているらしいのです。

こんな時に自動車なり原付なりを持っていれば外出するのに何の支障もないはずなんですが、生憎私の主な交通手段は自転車ですから、風の影響をもろに受けてしまいます。

わざわざ強風に煽られながら買い出しを無理やり済ますか、今日はおとなしくしておいて明日に託すか、後者がいいのは明白です。

今日もまた、だらだらと一日を浪費することにしました。

 

 

ところで、就職の日が着々と近づいています。

いつになるかまだ具体的には決まっていないんですが、ここ1,2週間中には無職から脱することになるでしょう。

今日のようにダラダラしているだけだと貯金は減る一方なので、早く仕事を開始して給料を貰いたい……と思う一方、「働かずに金が欲しい」という願望も変わらず存在しています。

 

あと十数日でこの快適な生活が終わってしまうんです。

そりゃ、いざ仕事が始まってみれば大して苦しくはないのかもしれませんが、今の私が「惜しい」「嫌だ」と思うのもまた自然なことだと思います。働きたくない。

 

一生をモラトリアムの中で終えたい。何の責任も課されず、義務を負うことなく、自分の好きなことだけして人生を全うしたい。

何年も前からこんなことばかり考えています。いわばこれは私の「悲願」なのです。

 

この願望は、果たしていつまで「夢物語」の領域にあるのでしょうか。

平成が終わり令和が始まろうとしている2019年は、この、ある意味「人間を放棄したい」という破滅願望にも似るような理想が叶うような世界に、どの程度「近い」のでしょうか。

 

私がこのブログで何度も話題にしている『すばらしい新世界』『ハーモニー』のようなユートピアディストピアは、未だ全くの空想に過ぎないのでしょうか。

これらの世界のごく一部、片鱗のような幸福だけでも、数年のうちに実現し、我々のような一市民が利用可能になりはしないのでしょうか。

私はずっとそれだけを待っています。

 

 

 

ここ最近体調が悪かったので、どうしてもこのように「救われたい」というようなことばかり書いてしまいます。

特に昨日の夜の腹痛なんてひどかったんですよ。「睡眠は大事だから早く寝よう」と0時に布団にもぐったら、3時に腹痛で目が覚め、そのまま5時ごろまでのたうち回っていたのです。何か月か前にもこんなことがあった気がしますね。

どんどん体が壊れていっているような気がします。お金に余裕が出来たら本腰を入れて治療なんかを受けてみたいですね。骨盤矯正とか。

 

さて、取りあえず今日はもう寝て、明日気分よく目覚められることを祈りましょう。

幸福な一日を過ごすことが出来さえすれば、楽園が云々なんて考えなくて済むのですから。