今日も物質

必死で存在しています。

顔面の類型

はじめまして。

自分のことを美少女Vtuberだと思い込んでいる水槽の脳だと思い込んでいる成人男性系Vtuberの久遠ありあです。

 

 

 

 

 

最近、人の顔にデジャヴを感じることがやたら増えた気がしています。

仕事場でも通勤電車の中でもそうなんですが、「あれっ、ひょっとしてこの人○○さんじゃない?」みたいに、目の前の人と記憶の中の人とを誤認してしまうんですよね。

 

今のところ、このデジャヴを感じるときは決まって高校のクラスメイトか大学での知り合いだと誤認識しています。

仮にこの現象、今回のブログの題に沿った言い方をすると、「顔面に類型を感じる」現象ですね。これは、ありふれたものなんでしょうか。

 

きっとそうなんじゃないかと思います。

誰と誰が似ているという話題は世間話としてごく一般的なものでしょうし、あと「呼び間違い」なんてのもなくならないアクシデントですよね。

 

 

今の私は過去のクラスメイトなり知り合いなりをパターンの代表として記憶していますが、私がこれからも人生を続けていくと、例えば今世話になっている職場の上司なり同僚なりを「類型」として保持するようになるのかもしれません。

「(この顔面のタイプで印象深いのは○○さんだな)あれ? もしかして○○さんじゃない?」って感じですね。○○の部分は日々更新されたり、特定の個人がしぶとくその位置に残り続けたりするわけです。

 

 

 

最近は顔面の類型以外に「性格の類型」なんかもちょくちょく見出している気がしますね。

対象は主に苦手な上司とかです。人間関係のストレスを「この人はこういうタイプだな」と既知のものに落とし込むことで軽減しようとしているんでしょうね、たぶん。

もっとも、文字にしたことで強調されているだけで、以前もこういう把握の仕方はやっていたんでしょうけどね。

 

 

この「類型化」という認識の仕方、ストレスが軽減される分には大いに結構なんですが、「その軽減されたストレス分、自分の世界を縮めてしまっているんじゃないか」とか考え始めるともうキツいですね。

自分を責めてもいいことないですし、この手の思考についてはできるだけ無自覚でありたいものです。