今日も物質

必死で存在しています。

「明日って今さ」と言わないで

伸びていく髭、増えていくゴミ、減っていく貯金、過ぎ去っていく月日。

 

ケチャップです。

 

 

驚くべきことに、11月ももう終わろうとしています。

9月の末に退職し、「10月はちょっと体を休めつつ仕事を探して、11月からまた就職して頑張ろう」とか言ってたのがウソみたいな体たらくです。相も変わらず無職です。

 

 

この二か月の間は、貯金を削りながら電子書籍をひたすら買い漁ったり、寝る間を惜しんでゲームをしていたり、あるいは丸一日中布団に籠って睡眠とソシャゲだけに明け暮れる日々を過ごしたりしておりました。

 

別に、この生活自体に文句があるわけじゃありません。

流石に今の自分に胸を張れるかと言えば否ですが、今のライフサイクル自体は私の人生の最終目標に限りなく近いものであるはずです。誇りはなくたって生きていけます。

 

じゃあ生きていくのに何が必要って、そりゃ金ですよ金。

「人生の最終目標」という言い方をしましたが、今から最終じゃまずいでしょう。それってもうすぐ人生が終わるってことじゃないですか。

 

私はまだ死ぬのが怖いし、消費したい娯楽は星の数ほどあるし、寒かったり気分が乗らなかったりした日は布団に入ってすやすや眠りたいのです。

 

 

これらの欲求を満たすにはどう転んでも金が要るのです。

そして私は働きたくない。というか働けないんですよ今。

免許証ないし、保険証ないし、電話番号ないし、薬ないし、やる気もありません。

 

「あー免許更新行かなきゃ」「他の身分証いるから無理じゃん」

「保険証貰いに行かなきゃ」「今日は雨降ってるからいいや」

SIMカード診てもらわなきゃ」「今日は寒いからダメ」

万事この調子なんですよ。命がかかってるのにこの有様なのは流石になんかの病気でしょ。病気だったわ。そして薬がない。保険証がないから。どうしよう。

 

 

よく「明日やろうは馬鹿野郎」だとか「あしたって いまさッ!」だとか言うじゃないですか。

仰る通りなんですよ。何事も「今」やらないと始まらない、私の怠惰の肩代わりをしてくれる私は明日も明後日も現れない、「今」やるしかない、まったくもってその通りです。

 

それでもダメなんですよ。体が動いてくれないのです。

「明日やろうは馬鹿野郎」と初めに言った人は恐らく馬鹿じゃなかったんですよ。

だから、馬鹿がなんで今日できないかが理解されないままに、馬鹿野郎どもは「明日やろうは馬鹿野郎」と馬鹿じゃない人々に唱え続けられているのです。

 

生存者バイアスというやつですよ。

今日できた人々だけが「明日やろうは馬鹿野郎」ということができるのです。昨日までできなかったとしてもそうです。

昨日も今日も、そして明日もやらなかった馬鹿野郎どもは、みんないつか明日を迎えずに死ぬのです。

そして、死の途上にある私の理屈も、きっといまいち理解されずに埋もれていくのです。馬鹿の理屈だから。

 

「いつだって間違っているのは世界じゃなくて私のほうだ」と言いたい気分です。自傷的で自虐的、世界と私の正誤なんかはどうでもよく、単にそう言いたい気分なのです。

呪いを吐くことだけはなんとか今日できるのです。それでも今の私には精一杯なのです。

 

明日っていつだ。