今日も物質

必死で存在しています。

言葉の源

月曜日はニートの言い訳がなくなるので嫌いです。

 

ケチャップです。

 

 

 

今日もほぼ丸一日寝て過ごしていました。

先週までは不眠で悩んでいたのに、今では眠りすぎに悩んでいます。

 

悩んでいる、というのが正確な表現なのかはわかりませんけどね。

眠っている間は悪夢でも見ない限りは快適の極みですし、布団の中でくるまっている時間も大好きです。

 

ただまぁ、当然のことなんですが、人間眠ってるだけじゃダメなんですよね、悲しいことに。

眠っていてもお腹は空きます。お腹が空くとご飯を食べなくてはなりません。ご飯を食べるのにはお金がかかります。

それに、流石に四六時中寝ているというわけにもいきませんから、起きている間の自我を慰めてやる必要があり、これにもお金が必要になります。

 

そして一番大事な寝床を確保するのにもお金が……と、とにかく万事においてお金が必要になり、眠っている間はそのお金を得ることができないのです。心から悲しい。

 

 

 

「言葉がなくなっていく」というのも、眠ってばかりいる生活における重大な弱点の一つです。

外部から刺激を受けることが少なくなるので、脳から言葉を捻りだすことが難しくなっていくのです。

 

まぁ、有体に言えば「ネタが尽きる」ということですね。

別に今のご時世外出しなくたってエンターテイメントはいくらでも消費できて、話題自体はいくらでも湧いてくるんですが、実はそれだけじゃ厳しい部分もあるんですよ。

 

引きこもりの私がこれを認めるのは若干癪に障るんですが、やっぱり「人と会って話す」というのは大事なことらしいのです。

一人で閉じこもっているのとでは、インスピレーションの量が段違いなのです。ニートでブログ始めて2年経つ私が言うんだからある程度保証できます。

 

夢日記のように「自分の内側」から湧いてくる言葉もあるにはありますが、「夢」という現象自体、他者との関わりなり外的な現象を反映したものでしょうから、やはり他者との関係を完全に断つということは不可能です。

 

 

寝てばかりの生活だと、どうしたって人と会うことが少なくなりがちですから、そのあたりに不安を感じることはままあります(金がないこととかにももっと危機感を感じるべきですが)。

 

まぁでも、「もう眠るのはいいや」「寝てる場合じゃないな」と思い始めるまでは、冬眠しているとでも思って眠りを享受しましょう。

一年ほど前、今と同じような状態になって精神科医の先生に相談した時も、「眠りたいのなら眠っといたほうがいい」と言っていましたし。今は眠る時期なのです。

そうであれ。

 

余談ですが、今回↑に張り付けた『日本語のレトリック』という本、高校生の頃の私が図書館で見つけて感銘を受け、大学生になってから自分で買い直した、かなりの名著です。

我々が普段使っている「言葉」「レトリック(比喩)」というものに関して、非常に分かりやすく、そして愉快に解説してくれています。

広告がどうとか以前に、オススメの本です。ぜひ。