今日も物質

必死で存在しています。

もはや雨とは唄えない

前職でビニール傘壊れまくるのが嫌すぎて高い傘買ったのに、仕事辞めてからは一度も使ってない。

 

ケチャップです。

 

 

 

私は眠る前は大抵タブレットで適当なYoutubeの動画を流しながら眠たくなるまでソシャゲを周回する、という風に過ごしています。

どちらも耳元で音を鳴らしているので、部屋の外の環境音はほとんど聞こえません。余程風が激しかったり雷雨だったりする日は別ですが。

 

しかし、昨日の夜、賑やかな電子音の隙間を縫うようにして、小雨が降るような音が聞こえました。

Alexaに確認してみると、案の定天気は雨。「明日もまた頭痛が続くのか」と思って憂鬱な気分になっていたのですが、ふと『雨に唄えば』という映画のことを思い出しました。

文字通り雨の中で歌い踊っているシーンがあまりにも有名な、ミュージカル映画の古典ですね。

私がこの映画に初めて触れたのは中学校の音楽の授業でした。
生徒全員が受ける授業ではなく、選択授業。ほとんどの男子生徒が体育を選択しているところを、唯一私だけが音楽を選択していました(典型的な田舎の過疎地域だったので、別段それ自体は珍しい事ではありません)。
 
音楽の先生は時折授業の一環としてミュージカル作品を観せてくれました。
サウンド・オブ・ミュージック』に『カルメン』、『蝶々夫人』、それに『雨に唄えば』などがそれです。
中学生の頃の話なので覚えていない部分や理解できなかった部分も多々ありますが、当時の私にとってこの音楽の授業は非常に楽しみなものでした。
 
 
もちろん、作品鑑賞だけが授業の内容だったわけではなく、楽器の演奏や合唱もやっていました。
私のほかには女子生徒が二人。三人で歌うのがとても好きでした。
 
そう、私は歌うのが好きな子供だったのです。まぁ音楽の授業を選択している時点で分かることかもしれませんが、その音楽の授業を受けはじめるずっとまえから、私は「歌う」という行為が好きでした。
 
 
話は変わって、次は高校生のころ。
私は演劇部に所属していました。
これも、私にとって愉快な活動でした。
体を大きく動かして、声も伸びやかに自分を、役を表現する。
私は自分の人生に関して「あの頃に戻りたい」なんてことをあまり考えないタイプですが、強いて挙げるとすれば間違いなくこの時期になるでしょう。
 
高校生にとってはそれなりに大きな舞台で、スポットライトを浴びながら高笑い。
腕も脚も軽やかに動き、役と自信がない交ぜになったになったような状態で、喉を唸らせる、私はあの瞬間確かに恍惚していたはずです。
 
 
 
そんな、歌い踊るのが大好きだった私も今は昔。
今となっては、どちらも苦手になってしまいました。
腹から声をださなくなり、手も足もろくに動かさなくなりました。やらなくなるのはできなくなるのと同義です。
最初に自信が挫け、次に体が固まり、最後に、挫けた自信が徐々に屈折して卑屈になっていきます。
 
昔の私はもっと上手く歌えていたはず、もっと心を表現できていたはず。
今の私は歌えません。踊れません。
上に書いたように過去を美化して、その虚ろな栄光にすがって生きています。