今日も物質

必死で存在しています。

引きこもりに優しい時代になり始めている

いま主食がカロリーメイトなんですが、「今日昼ごはん食べったっけ?」ってなっちゃうのがつらい。ケチャップです。

焼肉の日らしいので焼肉を食べたいですよね。人の金で。

 

 

夏休みシーズンも終わりに近づき、Twitterなどで「引きこもり」「不登校」といった話題を多く見かけるようになりました。

ここ数年のところ、引きこもりや不登校に対して肯定的なメディアがずいぶん増えたように感じますね。

引きこもり当事者としては、「建前ばっかり並べやがって、本音のところじゃ厄介に思ってんだろ?」という疑心暗鬼があったりなかったりするんですが。

 

まぁ疑心暗鬼は置いておいて、引きこもりにとって過ごしやすい社会になりつつある、と言うことはできるのではないかと思いますね。

家に居ながらにして収入を得る方法は少なくないですし、その気になれば友人だってSNSなどで新しく作ることができるでしょう。

インドアで一人で楽しむような趣味、コンテンツも、今や楽しみ切れないくらいに充実しています。慢性的な辛さを感じるようであれば、メンタルクリニックなどで治療を受けることも可能です。

 

「引きこもりを肯定しよう」という建前が存在することで、確実に「引きこもりに優しい時代」は形成されつつあります。

少なくない数の人間が「引きこもりは肯定できない」と思おうが、この建前の影響あれば、多くの引きこもりが人生を全うできるでしょう。

 

 

まぁここまで良いことばかり書いてきましたが、前途は多難だなぁとも思ってしまいますね。

 

「死人に口なし」という言葉がありますが、ぼくが引きこもり生活を続けていく中で痛感したのは、「口をなくせば死ぬ」ということです。

 

お喋りなり日記なりSNSなり、なんでもいいんですが、何も語ることができないとき、語る内容を失くしてしまったとき、人はどうにもできない無力感や虚無感に襲われます。

「どうにもできない」と表明することもできないんですよね。そうなるともう道は二つで、死ぬか、死んだように生きるかです。

 

この記事がどう着地するのかもう分かったもんじゃありませんが、まぁ「全ての人間を救うことはできない」とかそういう結論になるんでしょうか。

世界がどれだけ優しくなっても、無言で死んでいく人間をなくすことはできないんですよ多分。

なんでこんなことを言ってるんだっけ?まぁ語らなければ死んでしまうし、今日の話題がたまたまこういう話だったということで。