【ファイアパンチ】最終回の予想を完全に外しました
えー、こちらの記事で『ファイアパンチ』の最終回予想をしたわけなんですが。
全然当たってませんでしたね!!!
というか「ある男」が生き残る可能性を完全に忘れてました。
終始「生」に執着した彼らが莫大な時を超えて再会したことで、ようやくハッピーエンド(=死=映画館)を迎えることができた、というエンディングでしょうか。
「なんのために生きるのか」というのはそれなりにありふれた話題、課題であると言えますが、昨今こんなに真正面からこの課題にぶち当たった作品は珍しいんじゃないかと思いますね。
読み返したくなるシーンの多い、良い漫画でした。
コミックス最終巻は2月2日ですね。
忘れずに購入することにしておきましょう。
『ファイアパンチ』連載中、藤本タツキ氏による読み切りが掲載されることがありましたよね。
あれらの作品も大変好きでした。
漫画の最終回には決まって目にする「次回作にご期待ください」の文句ですが、本当に期待したいなぁ、これは。
チェックしておきたい漫画家リストに入れておくことにします。
kindle買って以来、漫画や小説の購入、管理がめちゃくちゃ楽になりました。
2018年は漫画をたくさん読む年にしたいですね。
退学失敗のこと、あと年越しとか
退学の相談は失敗に終わりました。
「学費を賄うために借金までしてるんだから最後までやれ」とのことです。
いやぁ、超正論ですよね。反論の余地がありません。
今期分の単位はどうやったって足りないので、たぶん留年することになるでしょう。
留年してまでやりたいことが大学にはないんですが、そこは「みんながみんな好きなことばかりしているわけじゃない」ということで。
これまた正論ですね。
両親の論調としては大体が「みんなやってるんだからお前もやれ」と言う感じでした。
母は「毎日電話するから頑張れ」とも言っていましたね。
違うんですよ。
ぼくが言いたいのは「ぼくを「みんな」から外してくれ」ということなんですよ。
当たり前のことができない人間だから、相応の暗がりで暮らさせてくれ、ということなんですよ。
「そうはいっても社会は「みんな」で動いてる」「お前は甘い」というのが父の言い分です。
はい、言い返せません。父が正しいです。
ただ、既にぼくは「正しくない」側の人間なので、その理屈をぶつけれらても「よし、じゃあ心を入れ替えて頑張ろう」とはなってくれないんですよ。
母の「毎日電話するから頑張れ」も、逆効果です。
言葉が悪いですが、毎日電話されるなんて鬱陶しくて堪りません。
「電話することが救いになる」と思っている相手からの電話ならなおさらです。
「今のお前はだめだからもうちょっと頑張れ」と言われ続けることは苦痛以外の何物でもありません。
「ぼくを落伍者にさせてくれ」という願望が叶う見込みは現状なさそうです。
来年、どうなるか本当に分かりません。
ひとまず、お金を貯めることは間違いないでしょう。
「お金がないから」というのも、退学が認められない大きな理由だったからです。
また訪れるかもしれない転機に用意しておこう、という感じですね。
体がうまく動いてくれるかはわかりませんが。
はい、ぼくの2017年はこんな感じでした。
ブログの方は続けていきますので、ぜひぜひ読んでいってくださいね。
では、良いお年を。
明日、親不孝をします
実家の風呂でしっかり湯船につかってきたところです。
一人だとシャワーで済ませてばかりなので、実家はこういうところがありがたいですね。
昨日、地元に戻って来ました。
毎回、駅から家まで母が車で送ってくれます。
母は常にカーステレオでドリカムを流しているので、ドリカムの曲を聞くと「帰ってきたなぁ」って気分になりますね。
帰宅したらそのままお風呂に入って、鍋をご馳走してもらいました。
鍋なんて食べるの久しぶりでしたね。 味の沁みた大根、白菜、つみれ、全部めちゃくちゃ美味しかったです。
途中で父と妹も帰宅して、一家で鍋パーティになりました。
お酒もいい感じに入って、だいぶ気持ちよくなっちゃいました。
いやぁ、一家団欒っていいものですねぇ。
でも明日には退学の相談をしなきゃならないんですよ。
怖いなぁ、怖くてしょうがないです。
10月以降学校行ってないのにずっと「行ってるてい」で通してきたわけですから、いわばこれは自首です。
嘘つきには相応の報いが下るもんですよホントに。
全部が明日にかかっています。
スプラトゥーンで明日追加されるらしい完全にキングスマンのオマージュであろう傘を試せるか、ドラクエ11の真エンドを見ることができるのか、モンハンワールドを遊ぶことができるのか。
そして、このブログを存続することができるのか。
全て、明日です。
考えてたら頭が痛くなってきました……なんてことはないんですよね。
行き当たりばったりにヘラヘラ生きてきた人間なので、どうにかなるだろうと根拠なく期待してます。
我ながら最低だなぁ。道徳的とは言えないです。
親不孝なうえに開き直ってるわけですし。
まぁ、そういう生き方しかできないんですよ、たぶん。知らんけど。
散髪に行ってきました
つい先日にクリスマスが終わったと思ったら、近くのコンビニには既に門松が飾ってありました。
流石にこの時期は忙しいですね。
ぼくも実家の方に戻らなきゃならないので、髪と髭を整えてもらってきました。
流石に浮浪者ルックで退学の打診をするわけにはいかないですしね。
実に4ヵ月ぶりくらいで髪を切りましたね。
以前行っていた美容院に行ってもよかったんですが、長い間顔を見せてなかったのと、退学の話をしずらかったのとで、別の店に行きました。
いやー、元の美容室のお兄さんに申し訳ないですね。
めっちゃドラクエの話とかしてたんですけど、それだけになんか顔を合わせずらくなってしまった感じです。
惜しい。
今日新しく行った理容室は、初老の店長がひっそりやってるところでした。
お喋りはそんなにせずに、淡々と散髪をやってくれました。
非常にいい雰囲気でしたね。
イージーリスニングな感じのBGMに環境音が重なって、すごくリラックスできました。
今後はあの理容室でお世話になろうかなぁと思います。
帰りにコンビニスイーツも買ってきたんで、それを食べながらまったりしようと思います。
ホワイトフロマージュスフレですって。美味しそう。
明日は実家に帰って、いよいよ今後の話を両親にすることになります。
非常に緊張してますね。
まぁ、今日ぐらいはリラックスしましょう。
ストロングゼロもあるし。
なんとかなるさ、ですね。
今日はピザの日
二か月くらいピザを食べずに生活してきたんですが、そろそろ限界ですね。
ピザが食べたい。
たった今注文を済ませたところです。
今飲んでる薬の副作用か、変にぼーっとするんですよね。
今日はパスタをゆでるのも難しいし、ゲームをやってもミスばかりでした。
そういうわけで、ここはピザしかないだろうと。
ピザ、大好きな食べ物です。
チラシにずらっと並んだピザを眺めてどれにしようか迷ってる時間も好きですね。
まぁ大体はそんなに冒険できずにいつも同じやつを頼んじゃうんですけど。
手軽にがっつり食べられるのがやっぱり一番の魅力です。
調理の手間いらずでお腹いっぱいになれるのって最高じゃないですか。
もう毎日ピザがいいです。
でも、Sサイズのピザでもぼくの普段の夕飯の5~6倍の値段になりますからねぇ。
ぼくだけ200円くらいでピザ頼み放題にならないかな~って毎日思ってます。
体調が悪くて一日中布団に入ってたわけなんですが、なんかこういう過ごし方をするのも久しぶりな気がしましたね。
座椅子に座って一日中ゲームかPCいじってたら一日が終わる、というのを繰り返してきたので、本当に何もせずに一日が終わるのは久々です。
よく眠れましたよ! たまにはこういう日があってもいいんじゃないでしょうか。
ニートの言うことじゃあないですけどね笑。
届くまであと40分くらいあるんですが、何をしようかな。
近いうちに漫画『宝石の国』についての記事を書こうと思ってるので、その内容を練ってもいいんですが。
やっぱ今日はお休みの日にします。
ピザ食べて、薬飲んで、漫画をちょろっと読んだら寝ましょう。
それがいい。
【ネタバレ注意】1月1日に最終回を控えた『ファイアパンチ』を振り返る
少年ジャンプ+で連載されている漫画『ファイアパンチ』が、来週、1月1日をもって最終回を迎えることが分かりました。
連載開始当初から追ってきた作品なので、とうとう最終回かと思うと胸が熱くなりますね。
読んできた人ならなんとなく分かってくれるんじゃないかと思うんですが、何度も「こりゃそろそろ最終回だな」って思いませんでした?
ぼくは思いました。
そしてその予想を外される度に「やべぇなこの作品……」ってなりましたよね。
ぼくはなりました。
先日、コミックス既刊をkindleでまとめ買いしまして、一気に読み進めました。
一週間という空白を設けずにいっぺんに読んでみて、この漫画の面白さを再確認できたように思います。
そこで、『ファイアパンチ』はどう面白い漫画だったのか、そして最終回でどのように幕を閉じるのか、というのを個人的に分析/予想してみたいと思います。
題にも書いてますが、超ネタバレ注意です。
未読だという人はここで引き返して、取りあえず1話を読みましょう。
めちゃくちゃ面白い1話なので。
さて、本題に入りましょうか。
序章 覆われた男
1話が秀逸すぎる
先ほど未読の方に1話を勧めました。
漫画やアニメを勧めるときの常套句ですよね。
「取りあえず1話を見てくれ」というのは。
まぁ1話がその作品の始まりなんだから当然と言えば当然なんですが、この勧め方をされる作品って「1話がすげー面白い」ものが多い気がします。
ファイアパンチもこのタイプで、1話がめちゃくちゃに面白いんですよね。
そして、今読み返してみて分かるのは、後々のキーワードになる語が1話で既にあらかた出揃っていることです。
いくつか例を挙げてみましょうか。
「他の苦痛を全て受け入れてでも 死にだけは抗うのです」
これはアグニとルナが暮らす村の司祭のセリフです。
「苦痛」「死」はこの作品の重要な部分を占める言葉ですね。
あと、村人たちが「慈悲の炎を……」という祈りを口にするのも興味深いところです。
この台詞、アグニ教の祈りと若干重なりますよね。
そして、「生きて」ですね。
超重要な台詞です。この作品の根幹となる祝福であり、呪いでもあります。
この台詞は作中で何度も繰り返されることになりますね。
今後に繋がる伏線張り、世界観の説明をこなしながら、読者を一気に引き込むだけの魅力を備えた1話です。
ぼくはルナの「兄さんはおいしいです!」で「あ、この漫画読もう」って決めましたからね。
アグニ様
サンが登場したことにより、アグニのキャラクターに重要な要素が付け加えられます。
「神様」「アグニ様」がそれです。
この漫画、キャラクター性、とりわけ主人公のキャラクター性に注目しています。
キャラクター性というのはつまり、その人物が他人からどう見られていているのか、自分のことをどのように認識しているのか、ということです。
主人公のアグニ(この言い方が適切であるかどうかすら定かではないのですが)は、例えば「村の希望の灯」であり、「兄さん」であり、「身を焦がす復讐者」であり、「正体不明の燃える祝福者」です。
サンは初対面の時点でアグニを「神様」として見ていますし、この認識は後に人々に敷衍していくことになります。
この認識に必要だったのは「外見」です。
もちろんアグニの行為も一つの要素ではあるんですが、重要なのは、というか作中で重要だと言及されるのは外見なのです。
そして、言うまでもなく外見はキャラクター性に多大な影響を与える要素です。
映画論者トガタ
トガタは一種のメタフィクショナルな登場人物として活躍することがあります。
特に登場初期はそうです。
我々の世界の映画のパロディーをところどころに挟んできますし、アグニとその道程を「ノンフィクションのアクション」と言及します。
そして、トガタがメタフィクショナルな人物だとぼくが評価する最たる要因は、作中で披露されるトガタの映画論です。
トガタは「2時間ずっと映画を見てもらいたいなら興味の持続を意識」「小さくてもくだらなくてもいいからハラハラさせろ」といったことをカメラを構えるネネトに唱えます。
これ、この漫画の話ですよね。
トガタの映画論はそのまま漫画論です。
ファイアパンチは全体を通してトガタの唱える映画論にしたがって描かれています。
ちなみに、この「映画論者トガタ」が登場する回は映画的で愉快な演出が多いです。
例えば、アグニを危険物として処理しようとするベヘムドルグ上層の軍人(喫煙者)たちが、作中で「火くれ」と連発するところです。
洒落がきいてますよね。
あと、このベヘムドルグ上層の人々、ユダを除けば名前が「ジャック」「イワン」「サイモン」と、名無し揃いです。
やられ役だということが一発で分かります。
いや、読み返して気づいたんですけどね。
頗章 覆う男
燃えるベヘムドルグ
アグニがベヘムドルグの奴隷たちを前にして、「アグニ」を思い出します。
「復讐者」から「正義のヒーロー」へとキャラクターが変わりますね。
そして、正義のヒーローの行為によってベヘムドルグは燃えることになり、「神様」「悪魔」、そして二者を併せ持つ「ファイアパンチ」というキャラクターが誕生することになります。
ベヘムドルグ焼失を期に、ユダは指導者の演技をやめます。
かつてルナの顔でアグニに「死んで」と言ったユダの次の願いは、「殺して」です。
この時点でユダもアグニも「生きる糧」を失っている状態にあります。
しかし、ここで登場するのが氷の魔女であるスーリャです。
このスーリャの目的は、「一度この世界を終わらせて 次の世界を暖かくすること」です。
そして、スーリャの話の中で、この物語の枠組みに関わる(と、ぼくが予想している)キーワードが飛び出します。
「破壊と再生」です。
このキーワードについては、最終回の予想の項目で触れることにしましょう。
「トガタ」
読心の祝福者バットマンによって、トガタがトランスジェンダーであることが明かされます。
トガタの告白は「外見」と中身の乖離に対する嫌悪感を吐露するものでした。
外見と中身の乖離はアグニにも起こったことです。
彼は無数のキャラクター(その多くが、望んで得たものではありません)を持っていますから、激昂するトガタに「少しはわかる気がするぞ!」と理解を示します。
しかし、トガタは理解を拒絶します。
トガタにとって、見た目と中身がかけ離れていることは文字通り「吐くほど気持ち悪い」ことなのです。
このシーンの直前、トガタはアグニに「神様の演技をしなくちゃいけない」と言います。
トガタは自らの経験から、アグニに「他人から見られているとはどういうことなのか」という説明をしたわけです。
このシーンには「期待は勝手にされるモンだよ」「期待してたのにって…怒られるんだよ」などのセリフもあります。
トガタの境遇から漏れ出たセリフですね。
そしてここから驚きが続きます。
ドマが保護する子供たちを見て、アグニはドマへの復讐を諦めます。
この時のアグニは「正義のヒーロー」のキャラクターです。
しかし、彼がルナの幻影を見たかと思うと、彼はドマを殺していたのです。
「正義のヒーロー」から「悪役」へ。
生きるために持ち続けていた復讐者のキャラクターが、アグニの意識を乗っ取ったシーンです。
幻視は続き、ルナの幻がアグニを凍った湖面に導きます。
ここにきて、アグニは「俺が悪役なんだ」と悟ります。復讐、殺人を生きる糧にしてきたことの清算です。
そして、問題のシーン。
「生きて…」
うわああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!????!?!?!?
こうなりますよね!?!? 絶対なりますよね!?! ぼくはなりましたよ。
初見の時に5分くらい思考が止まりました。
なんというか、このシーンのトガタの心情を言葉にするのはめっちゃ難しいです。
言語化できない……矛盾だらけで、だからこそ尊いものを内包していると思います。
こんな陳腐な言い方をするのは惜しいんですが。
ルナとユダ
「木」がアグニに破壊された後、再生したユダはアグニに「ルナ」だと刷り込まれます。
そして、ここでも新たなキャラクターが誕生します。「ニーサン」ですね。
「ニーサン」となったアグニは、初めは死を願いながらも、「ルナ」を守ることを最優先にして動きます。
「ここで生きてしまえば 何かが俺を覆ってしまう」という懸念を吹き飛ばしたのは、またしても「生きて」です。
この「生きて」を発したのは「ルナ」ですね。
これ以降、「ニーサン」改め「兄さん」として、演技を続けることになります。
かつてのドマの家族に「ファイアパンチを殺して」と言われても、十年間も生き続けました。
サン率いるアグニ教団が「ユダ」を必要とし始め、「ルナ」がアグニを愛したとき、転機が訪れます。
アグニは再び「ファイアパンチ」となって炎で体を覆い、ルナでありユダである彼女は再び木になりました。
そして、82話。
このタイミングで、『ファイアパンチ』が神話であることが分かります(重ねて言いますが、予想です)。
『ファイアパンチ』は「神話」である
さて、「燃えるベヘムドルグ」の項で後回しにしたスーリャの台詞に再び注目しましょう。
あ、この項目の文章は全部文末に(憶測です)ってつけて読んでくださいね。
さて、「破壊と再生」です。
端的に言えば、『ファイアパンチ』は「破壊と再生の神話」です。
「ユダの木」と呼ばれる物体の正体は、他の星から熱量を吸い上げて、根を下ろす星に還元する、という代物です。
82話で莫大な時間が経過していますが、それでも木の中枢にいる「ある女」は「ある男」のことを想って生き続けています。
ここでは「生きる糧」の関係が彼らの間で逆転してますね。
あと、「ある男」が「熱さ」を耐えた一方で、「ある女」は「寒さ」を耐えています。
莫大な時間が経過した結果、星は「破壊」されました。
となれば、次に来るのは「再生」しかありません。
最終回、おそらく新たな星が登場するでしょう。
それは木が復活させたものかもしれませんし、新しく発見したものかもしれません。
とにかく、その新たな星は「暖かく」なります。
木によるテラフォーミング、「再生」です。
そして、その星にはいずれ文明が生まれ、それなりに繁栄し、滅びを迎えるでしょう。
具体的に言うなら氷河期とかで。
そして、兄妹が生まれます。
彼らは両者ともに再生の祝福者で……と、再び『ファイアパンチ』が始まります。
つまり、『ファイアパンチ』は、男女の愛による永劫回帰の神話なのです。
こう結論することで、ルナとユダとスーリャという三人が同じ姿をもっていた理由が明らかになります。
この三人、おそらく「ある女」の端末、あるいは分霊のような存在です。
「ある男」に生きていてもらうために、彼の道程に配置された存在なのでしょう。
ルナとユダは男に生きてもらうための存在です。
ユダには「次の木」になる役割もあります。
この三人の中で異質なスーリャですが、彼女の仕事は「男に生きる意志があるかどうかを確認すること」じゃないでしょうか。
で、結局その役割を持った三人がなぜ同じ姿をもつのか?
それは、「外見」が重要だからです。
さて、めちゃくちゃ好き勝手言いました。
これで最終回が全然違う話だったら赤っ恥なんですが、まぁそれは甘んじて受け入れます。
こういう考察ってやってる時が一番楽しいですからね。
午前三時までウンウン唸った成果がこれですから、何らかの形で表明しておきたいですし。
しかしまぁ、意味わからない文章でしたよね?
ぼくが書く文章って、自分の脳内にあることをそのまま書いたつもりになっちゃって、実際は全然言葉が足りてない、ということが多いと思います。
書いてるうちに脳内で勝手に補完しちゃうんですよね。
読み手のことを考えてない文章です。
だから、「読者の脳内で補完させる」ような作品を描く作家さんはすごいんですよ。
「読まれる」ことを前提にしたうえで、しかもそれをコントロールするわけですからね。
そういった意味でも『ファイアパンチ』は秀逸な漫画でした。
来たる1月1日を待ちましょう。
※1月3日追記
派手に外したんで……。
クリスマスについて言うことがなにもない
言うことがなにもないので、記事を書くのに非常に難儀します。
多分短い記事になるか支離滅裂な記事になるかのどちらかです。
大学に行かなくなって二か月が経ちました。
人との交友を断って二か月、とも言えますね。
外出は生活用品の補充のみ、会話はコンビニ店員さんか配達のお兄さんとのみ、という状況です。
当然ですが、この生活の仕方は気が滅入ります。
気が滅入ります。それだけです。
別に、この状況をどうにかしなければと焦ることもありませんし、かといってここまで落ちぶれたことに絶望するわけでもありません。
単にテンションの平均値が下がっただけです。
いや、これはこれで健康に悪いし、確実に不味いことなんですけども。
今日がクリスマスであっても、例外はありません。
クリスマスを祝う気も呪う気もない、ということです。
今ぼくの頭の中にあるのは、夕飯のパスタをミートソースにするべきかカルボナーラにすべきかということと、リオレウスの攻略だけです。
本当はクリスマスと全く関係ない記事を書こうかとも思ったんですが、「クリスマスはブログを大きくする絶好の機会」という定石があるらしいので、一応書いておきます。
めちゃくちゃ打算的ですね?
でもいいんです。
ほとんどニートである現状、これくらいしかぼくにできることはありませんからね。
いや、本当はクリスマスについてなんらかの的を射た指摘とかしたかったんですよ。
ご意見番としてバズりまくり、みたいな状況に憧れもあります。
「頭いい」って言われたいですよね。
「十で神童 十五で才子 二十過ぎれば只の人」という言葉があります。
ぼくはこのタイプです。
神童だの才子だの言っても、「勉強してなくてもテストでそこそこの点を取る」程度の話ですけどね。
努力を拒否して多感な時期を過ごしました。
その結果、努力ができない大人になろうとしています。
当然の話ですね。
話がかなり脱線しました。
つまり、「頭いい」という評価への憧れだとかプライドを保持したまま、とても「頭がいい」とは言えない風に成長してしまった、ということですね。
だから、クリスマスについての的確でウィットに富んだ記事は書けないわけです。
とってつけたようなクリスマス要素で、ただの憂さ晴らしみたいな記事になってしまいましたね。
まぁ、今年はこういう年、と納得することにしておきましょう。
では、良い夜を。