24時間経ったのでDELTARUNEchapter1を考察する
[24]時間後ニ 再ビ ココヲ 訪レテ クダサイ。
— ██████ (@UndertaleJP) October 30, 2018
ソノサイ
— ██████ (@UndertaleJP) October 30, 2018
私カラ アナタニ
イクツカ 質問ヲ シマス。
ソシテ
— ██████ (@UndertaleJP) October 30, 2018
アナタノ 回答ヲ 用イテ
ソノ 実現ヲ 目指スノデス。
…………
https://t.co/oEK8fBLbAqhttps://t.co/oEK8fBLbAqhttps://t.co/oEK8fBLbAq
— ██████ (@UndertaleJP) 2018年10月31日
普通に新作じゃねーか!!!!
はじめまして。この手の考察記事を過去に2回ほど書いてきたけど未だ正解に至ったためしがない系Vtuberの久遠ありあです。
今回の記事は2018年10月30日から31日にかけて発表された、TobyFox氏の新作ゲーム(たぶん新作)DELTARUNEの考察です。
さきほどクリアしたばかりなので粗が多いかと思いますが、とりあえずの雑感ということでご容赦ください。
プレイしていて私が気になったところをいくつかピックアップしてみました。
時間が惜しいので、さっさと本題に入りましょう。
DELTARUNEはUNDERTALEのアンチテーゼ的な作品なのではないか
これはキャラクターメイキングの時点で思い当たったことです。
本作の冒頭、ガスター博士(?)に促されるまま、我々プレイヤーはキャラメイキングを行い、その末にそれらを全否定されることになります。
このシーンで印象的なのは、「なにものにもなることができない」というようなセリフです(たぶんこんな感じの意図の台詞があったはず)。
UNDERTALEは「プレイヤーのケツイ次第で、世界は希望にも絶望にも染まる」といった様相を呈したゲームでした(ケツイ、で統一します)。
プレイヤーの「世界を救いたい」「ゲームを楽しみたい」「全員殺してみたらどうなるのか見てみたい」という動機を、UNDERTALEというゲームは「ケツイ」と呼びました。
このケツイは、モンスターたちを、世界を、救いも殺しもするものでしたね。
UNDERTALEというゲームの根幹を成していると言っても過言ではない(と私が思っている)、「プレイヤー対ゲーム(対、という語は必ずしも敵対を意味しませんが)」という構造の核となる概念、それが「ケツイ」です。
そして、DELTARUNEには今のところ「決意」という語が用いられる様子はありません。少なくとも私は見ませんでした。
仮称ガスター博士の「なにものにもなることができない」というセリフは、明確にケツイの否定です。
このセリフ以外にも、ケツイを否定する要素はいくつかあります。
ゲームをプレイしていて特に印象的なのは、スージィによる「選択肢の否定」です。
私はDELTARUNEをプレイ中、スージィに選択肢を2回止められました。
やや過敏なのかもしれませんが、「プレイヤーに選択肢を与えない」という意図をなんとなく感じましたね。
もう一点根拠を挙げるとするならば、チャプター1のラスト、仮称主人公が、自身のハート、SOULをカゴに閉じ込めるシーンでしょうか。
このシーンだけでも、「DELTARUNEはUNDERTALEのアンチテーゼとして作られた作品である」と語るには十分なんじゃないかと思いますね。
まぁ選択肢自体はめちゃくちゃ沢山存在するし論としては弱いんですが。
二元論的に見るUNDERTALEとDELTARUNE
先の節で、私は「プレイヤー対ゲーム」という概念を持ち出しました。
この手の二元論はUNDERTALEシリーズのあちこちに発見できるので、ここでちょっとまとめておきましょう。
モンスター対ニンゲン
UNDERTALEではかなり重要な対立軸でしたが、DELTARUNE中ではあまり語られていません。
街のモンスターたちとの会話の様子を見ても、「ニンゲン?変わってるねー」くらいのもので、少なくともチャプター1を見る限りでは、DELTARUNEの重要概念ということはできないと思います。
希望と絶望
これはいまいち正確な表現ではありませんね。
まぁ、つまりPルートとGルートのことです。
プレイヤーのケツイによって、UNDERTALEの世界は如何様にも変化しました。
一方DELTARUNEの方では、「プレイヤーのケツイによって世界が変化する」様子は今のところありません。
むしろ、ケツイの否定が主軸のゲームがDELTARUNEなのではないか……というのが、私の考察でしたね。
プレイヤー対ゲーム
上述しましたが、あらためて。UNDERTALEシリーズを「メタ創作」たらしめている重要な対立軸ですね。
これまでの考察から、UNDERTALEが「プレイヤー優位のゲーム」DELTARUNEが「ゲーム優位のゲーム」であるということができるかもしれません。
光と闇(ライトナーとダークナー)
UNDERTALEにはなかった対立軸、のはずです。
ゲームを進めていて「ん?誰がライトナーで誰がダークナーだこれ?」ってなりませんでした? 私はなりました。
周回しつつこの辺は整理していきたいですね。
と、まぁこんな調子で考察とも与太話ともつかないナニカを書いてみました。
うん、私ブログ書くのヘタクソですね!!
Twitterとか会話とか、情報を小出しに言える環境の方が好みです……。
なにとぞ……なにとぞTwitterをフォローしてください……有益な情報盛りだくさんですので……。
なにはともあれ、続編が楽しみですね。
仮称ガスター博士曰く「アナタノ 回答ヲ 用イテ ソノ 実現ヲ 目指スノデス。」 とのことでしたが、これがどういう意味なのかも気になるところです。
私はDELTARUNEを「プレイヤーはゲームを変えられない」が主軸のゲームだと捉えているので、「回答」なるものが素直にゲームに反映されることはないだろうと予想していますが、「変えられない」をそのままゲームの結論にするとも考えにくいですよね。
「回答」「実現」のいずれも、かなり婉曲的なものであるようだ、と今のところは予想しておきましょうか。
そういうわけで、本作で一番好きな小ネタのスクショを貼ったら今回の記事は終わりです。
Twitterの方でもぼちぼち考察を書いていきますよ。
多分ふせったー使うけど。