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『キミガシネ』二章前半時点での考察とか予想【ネタバレ注意】

はじめまして。

ハッピーターンとパインアメとキットカットは家に常備しておきたい系Vtuberの久遠ありあです。

 

今回の記事では、ナンキダイさまがRPGアツマールにて公開しているADVゲーム、『キミガシネ —多数決デスゲーム—』の考察じみたナニカをやっていこうと思います。

ネタバレを多分に含む内容かと思いますので、未プレイな読者の皆さんはぜひぜひやってみてください。

人狼ゲームをゲームのモチーフの一つとして取り入れている作品なので、人狼が得意な人、好きな人はかなり楽しめると思いますよ。

 

さて、本題に入る前に一応注意事項です。

まず、先に述べたようにネタバレを含む内容となりますので、気にする方はご注意ください。

次に、今回の記事は「キミガシネを二章前半まで通しで一回プレイした人間」の考察・予想です。

考察記事を名乗るなら、本当はメモを取ったり選択肢を全部網羅したりといったプレイングが求められるものかと思いますが、今回はそういったプレイングはやっておりません。

そのため、内容自体も憶測に憶測を積み重ねるような、論拠不明になっている部分が多々あると思います。予めご了承ください。

 

では、前置きも済んだところで、本題に入りましょうか。

 

 

 

 

AIと人形と人間

キミガシネ二章前半で、「AI」という言葉が登場しましたね。

一章から登場していた「人形」というアイテム(?)と組み合わせて、「登場人物の偽物」が演出されました。

 

ここで私が気になったのは二点。

「黒幕(誘拐犯)の目的はAIや人形にあるらしい」ということ、そして「本物はどこにいるのか」ということです。

順番に説明しましょう。

 

黒幕の目的

まず、「黒幕の目的はAIや人形にあるらしい」ということについてです。

二章前半のラストには、感情の研究者を名乗る男性が登場しました。

おそらくデスゲームの開催者サイドの人物であろう彼の発言を信用するなら、彼らの目的は「AIの完成度の上昇」だというふうに考えられるでしょう。

ここから、「今回のデスゲームはAIの研究という目的のための手段である」という推測が成り立ちます。

 

デスゲーム参加者のAIについては、ミシマやレコの実例がありますね。

ただ、偽物の彼女らの完成度については、劇中で「見分けがつかない」と明言されていたので、「本物そっくりのAIと人形の作成」は既に達成されています。

ですから、目的というのは「0から人間を作る(その失敗作がノエル?)」、あるいは「AIの位階の上昇」にあるのではないかと考えられます。

 

「AIの位階の上昇」についてはかなり私の憶測が入る話なので、少し後でまた解説しましょう。 

 

 

本物(=オリジナル)はどこ?

「見分けがつかない」という話が出たので、次の「本物はどこにいるのか」という話に移ります。

先ほど述べたように、二章前半にはミシマとレコのAIが登場しましたね。

この二人のうち、特にレコは「本物」と「偽物」というトリックに利用されていました。

肉親であるありすの目をもってしても区別できないような、非常に精巧なコピーですね。

明確な違いはと言えば、「作成直前(最短で一日)の記憶の有無」しか無いようです。

自我があるバージョンのスワンプマンですね。

スワンプマン - Wikipedia

 

ここで私が疑問に思ったのは、繰り返しになりますが、「本物はどこにいるのか」ということです。

「本物のレコは偽物のレコに殺されたじゃないか」と思われるかもしれませんね。

 

しかし、よくよく考えてみると殺された方のレコが本物だという保証はありません。

誰にも見分けられないのですから、「あの場にいたレコは両方偽物(AI)」だという可能性を捨て去ることはできないはずです。

 

レコに限った話ではありません。

誘拐される直前については、ほぼ全員が「わからない」「記憶がない」といった証言をしていたはずです。

「作成されたのが誘拐直後ではない」という仮定の上での話にはなりますが(引き継げない記憶は一日分なので)、「デスゲームに参加しているのは全員偽物(人形)」という可能性を考えないわけにはいきませんね。

 

 

日和颯は何者なのか

キミガシネという作品を考察するうえで避けては通れないのが、日和颯(ソウ)という人物の存在です。

「ウソ」のアナグラムであろう名前から分かる通り、彼は非常な天邪鬼で、一見したところでは行動原理などを把握しきれません。

そこで、「ソウはなぜ死んでいないのか」「ソウの疑念、「サラは何者か」」という二点に絞って考察をしていこうと思います。

 

 

ソウはなぜ死んでいないのか

なぜ死んでいないのか、というのは、一章のラストでのありすの発言を受けての疑問です。

殺人犯であるありすは、「自分は「ヒヨリソウ」という人物を殺した」と証言しました。

殺された人間が生きているのはおかしいので、「ヒヨリソウ」とソウは別人だと考えられますね。

もちろん「「ヒヨリソウ」とソウは同一人物で、「ヒヨリソウ」は実は生きていた」という考え方もありますが、私は別人説を採用します。

 

別人説、とはいっても、「別人」と言い切れるかどうかは怪しいところです。

つまり私が言いたいのは、「ソウは「ヒヨリソウ」のAIではないか」ということです。

状況証拠をもとにした憶測なので断言はできませんが、AI、クローンという装置は「死んだはずの人間が生きている」を容易に実現できますよね。

 

 

ソウの疑念、「サラは何者か」

劇中でソウが度々話題にしている、「サラの恐ろしさ」についてもここで触れておきましょう。

ソウの言う「サラの恐ろしさ」というのは、すなわち彼女のカリスマ性です。

 

短時間で多くの人間の信頼を一身に集め、議論の中心として行動する。

ケイジの誘導もあっての状況だろうが、それにしても不自然だ……とソウは考えるわけですね(というか、ケイジの誘導が不自然)。

いわばアンチ・ヒーロー。「ゲームの主人公」という構造に対する一種のメタフィクショナルな言及と解釈することもできるでしょう。

 

ソウの疑念はもっともで、千道院紗良というキャラクターはかなりの謎に包まれています。

出自、能力、黒幕との関係、どこで切ってもこのゲームの核心に繋がりそうな点ばかりですよね。

 

 

で、ここからが完全に憶測で、先ほど置いておいた「AIの位階の上昇」の話になります。

位階の上昇、つまりアセンションですね。

 

「つまり」の後ろがカタカナ一語なのはあまり親切じゃないですね。

何が言いたいのかというと、「デスゲームの目的は「千道院紗良」の完成」じゃないか、という話になります。

これは「今回のデスゲームはAIの研究という目的のための手段である」の言い換えです。

より詳しく言えば「驚異的なカリスマを持つ「千道院紗良」というAIを、デスゲームという方法によって観察、研究する」という風になるでしょうか。

 

ちょっと話が飛躍し過ぎている気がしますね?

一応、こう予想するに至った理由をもう一つだけ挙げておきましょう。

それは「謎のパーセンテージが書かれたメモ」です。

 

二章前半時点でメモの全容が分かっていないためこれも不確かな根拠ですが、現在公開されているメモの中で、サラは15.5%というトップのパーセンテージをもっています。

このパーセンテージが、AIの完成度ないしそれに準ずる数値だと考えたわけです。

 

フワッフワな理屈ですが、このパーセンテージはメモの先頭に書かれており、少なくとも個人の名前とその職業より重要な指標であるはずなのです。

 

さて、そろそろまとめに入りましょうか。

 

 

多数決デスゲーム

『キミガシネ―多数決デスゲーム―』という題の通り、本作は多数決を重要なテーマとして描いています。

ゲームの冒頭、本作は「プレイヤー」に多数決を求めてきましたね。

「多数決に賛成か反対か」というアレです。

 

アレは、単にゲームの内容を示す例、チュートリアルに過ぎないのでしょうか?

いや、そうではないでしょう。

単なる例、というよりは、「多数決とはこういうものだ。それを把握したうえでこのゲームをプレイしてくれ」という前置きのように感じられるのではないでしょうか(0時が目前なので論がガバガバ)。

 

つまり、キミガシネというゲームにとっての多数決とは、ゲームのモチーフ、メイン構造であることはもちろんのこと、「ゲームそれ自体のテーマ」にもなっているはずだ、と言いたいのです。

キミガシネは、多数決という構造になんらかの結論を出そうとしている作品だ、ということですね。

 

 

 

 

書きたいことの半分も書いていないような気もしますが、あらかじめ用意した三点についてはあらかた書いたかなと思います。

最初に書いたように、ぼくはまだ一周しかしていないので、また考察のための周回とかをしてみようかなと思います。

そのうえでまた書き足したいことが出て来たら、またこういう感じの記事を書きますね。

 

それでは。