風の吹く季節になった
人は、失くした靴下の数だけ強くなれる。ケチャップです。
今日も今日とて夕飯にラーメンを食べに行ったのですが、玄関の扉を開けたときに「あの風」を感じることができました。
近頃は「あの風」を感じることが少なくなり、ひょっとして自分の感性が死んでしまったのだろうかと懸念していましたが、そんなことはなかったようです。
あの風、とはどんな風でしょうか。
ぼくがここで言う「あの風」は、「季節の変わり目に吹き、人に「おっ」と言わせるような風」です。
薫風といえば夏の季語ですが、ぼくが特にこの風を感じるのは秋で、夏から秋への変わり目と、秋から冬への変わり目です。
「室内の停滞した空気に慣れ切っていた自我に喝を入れるような」?
あるいは「私を感じろと言わんばかりに首を撫ぜていくような」?
どう表現するにせよ、ぼくにとって「あの風」は自我の目覚めであり、表現すること自体を躊躇わせるような黄金の体験なのです。
全然うまく説明できている気がしませんね。こういった経験をすらすらと言葉にできる人がきっと作家になるんだろうと思います。
言葉にならないにせよ、「あの風」はぼくの原体験の一つですから、感覚が鈍って感じられなくなる、ということだけは避けたいものです。
この手の話、サルトルの『嘔吐』を読んだ人になら一発で伝わると思うんですけどね。
いつか『嘔吐』をこのブログで解説するときにでも改めてこの話をしましょうか。
いずれ、近いうちに。