存在に耐えられない存在たちへ
はじめまして。
運営するブログがGoogleアドセンスの審査を通過して嬉しい反面、これでいよいよアクセス数を伸ばすために色々と意識しなきゃならなくなったなと思うと面倒で仕方ない系Vtuberの久遠ありあです。
今回の記事は「今日も物質」収益化おめでとう、ということで、これからの私の一生への言い訳をやっていこうと思います。
収益を伸ばすために色々意識しなければならないと言った矢先に「存在に耐えられない存在たちへ」とかいう全く伸びなさそうな題の記事を書いてしまっていますね。
言い訳というのはつまりこういうことをしてしまうことについての言い訳、予防線です。
私がどうして素直にブログを経営したりVtuber頑張ったりできないのかという話題ですね。
ここまで読んで「そうなんですか?」ってなる人もいるかと思うので、そういう方はぜひ以下の記事も併せて読んでみてください。
はい。私、久遠ありあという人間(?)はこういう感じの人間なんです。
とにかく努力というものが嫌いで、積極性というのもほとんどありません。
その割にブログだとかVtuberだとかをやっているのは、ひとえに「なにも表現していなかった期間の方が辛かったから」です。
自分の存在を維持することに全く関心がない反面、存在を主張できない状況や存在の消失といった事柄に対しては、一人前に恐怖しているのです。
自分という存在を確かめるために表現者という立場を取っているわけですが、表現の内容が枯渇していることに苦しむことも頻繁にあります。
世界に向けて発信したいことがほぼ皆無なんですよ。
ブロガーとして食っていくんだったら、専門とする界隈の情報には常にアンテナを張っておかなきゃならないだろうし、話題になったニュースなんかについて物申したりして記事を増やしていくのが順当なんでしょう。
私にとっては難しい作業です。常にアンテナを張っておくなんてしんどいし、別に物申したい主義主張もないからです。
Twitterとかで色々な議論なり主張なりを見ていると、よくみんなそんなに言うことがあるなぁと感心してしまいます。
……とまぁ、ここまで書いてしまうとこの文章も主張になりますし、なによりこれは発信行為ですから、私の言っていることは根本から矛盾しているのです。
しかし、矛盾せずにはいられないのです。
存在に耐えられなくとも存在し続けなくてはならない。「存在し続けなくてもよい」と結論した人間は既に去っているはずで、私は未だ去っていないのだから、そういうことなのです。
久遠ありあちゃんは、久遠ありあちゃんと同じような、存在に耐えられない存在たちへ向けたコンテンツなのかもしれません。
私は、「同じ悩みを持つものがここにいるぞ」と叫んでいたいのです。そうした人たちがありあちゃんと同じような存在であるのなら、ありあちゃんを実際に好むかどうかはかなり怪しいですが。
以上。言い訳、予防線でした。