駅と電車と生と死と・前編
はじめまして。
自分のことを美少女Vtuberだと思い込んでいる水槽の脳だと思い込んでいる成人男性系Vtuberの久遠ありあです。
今日はここ数日記事で話題にしていた面接当日でした。
昨日の記事に書いたように履歴書の記入は今日までずっと先送りにしてきたんですが、なんというか拍子抜けするほどあっさり終わりました。
若干寝過ごしてしまって「うわ~これはヤバいかもしれんな」とか考えましたけど全然そんなことはなかった。むしろ面接会場に早く着きすぎて30分近く暇つぶしをする羽目になるぐらいでした。この調子でもっと色々なものを先送りにしていきましょう。
で、面接についてなんですが、特に書くことはありません。
恙なく面接を終えて、何も寄り道せずに直帰しました。そういう意味では、「昼寝をしないタイプの普通の日」と何ら変わるところはありませんでしたね。
まぁ一安心といったところでしょうか。結果はまた後日です。ちょっと時間が空くかもしれないので、また他の生存のための策を練る時間を取ることにしましょう。
今日の本題は、「駅」と「電車」です。
面接会場に行くために久しぶりにこれらの施設を利用することになって色々な感動があったので、それについてぼちぼちと書いていこうと思います。
まず話題にしたいのは、「向かいのホームに停まっていた貨物列車に感じた鮮烈な存在感」です。
私は物事をとにかく先送りにしがちな性格であると同時に、いざ当日、本番となると時間を急ぎ過ぎるという性格でもあります。今日面接会場に早く着きすぎたのも、この悪癖によって電車に乗るのが早くなりすぎたのが原因です。
そんな風にせっかちな人間なので、当然駅のホームで棒立ちしている時間も長くなります。私が「貨物列車の存在」に出会ったのはそんな待ちぼうけの時間でした。
棒立ちとは言いましたが、まぁスマホをいじったりする時間もあるわけで、私がスマホの画面を見つめている間に、向かいのホームに貨物列車が停まったらしいのです。
金属が擦れる音に眉を顰めながら顔を上げると、そこには余りにも鮮烈な、立体的な「存在」がありました。「存在だのなんだの、よく分からねぇよ」という人は十行くらい読み飛ばすか、このブログを隅から隅まで読むかしてください。
とりあえず、私はその貨物列車の確実で不気味な存在感に、しばらくの間ぼうっとしてしまったのです。
私の愛読書『嘔吐』に、主人公ロカンタンがマロニエの木の根を見て「嘔吐」感を感じるというシーンがありますが、これにかなり近い現象を体験したのではないかと思います。
マロニエの木にまつわる一節は『嘔吐』の中でもかなり有名ですが、私は別にこの一節に愛着などはありませんでした(私は『嘔吐』の幕引きが最も好きなのです)。
しかし、実際にそれらしい体験をしてみると、やはり、なんというか、なんとも言えない感覚になりますね。言語化がかなり難しいです。自分の中では「戦慄」と呼ぶのが一番しっくりくるんですが、これもいまいち正確に言い表せているのか分かりません。
ただの貨物列車にかなりの刺激を受けた日でした。これが面接会場への行きがけに起こった事件だったので、面接の印象が薄れ、こんな記事になってしまいました。
あの貨物列車が視界に入らなければ今日は面接の記事を書いておしまいだったんですが、「存在」を叩きつけられた影響なのか、今日はやたらと書きたいことが多いです。
一つの記事に収めてしまうのももったいない、というか書きたいことの多さと体力との釣り合いが取れていないので、今日の記事を前編とし、続きを明日書くことにします。
明日の記事に副題をつけるとしたら、「各駅停車とデストルドー」って感じでしょうか。
それではまた明日。続きモノで書くのは新鮮な感じがしますね。