祖母を訪ねて三千分の一里
めちゃくちゃに鬱が押し寄せてきたのでブログお休みしようかと思ったんですが、椅子に座ったらなんとかやる気出てきたので書いています。
ケチャップです。
そうなんです、昨日の夜からめちゃめちゃに鬱が押し寄せてきていたのです。
布団に入っても一向に眠れず、例によって自動メンタル自傷が発動し、朝5時ごろまでひたすら傷み続けていました。
目が覚めたのは午後1時、「こういうときは日光を浴びれば多少はマシになるのだ」と一縷の願いを込めてカーテンを開け放ちましたが、生憎の曇天です。
即座に脳裏に「低気圧のせいだ」と責任転嫁先を用意します。ぜんぶ自然が悪い。
「昨日のストレスを和らげるためにも低気圧を回避するためにも、今日はもう一日中寝込むしかなかろう」と思って布団にとんぼ返りしますが、これが全く眠れません。
フルオート自傷行為がまだ発動していたのです。こいつが収まってくれないと私は何もできないのに。
やがて「眠れないなら仕方がない、ブログは休んで、自分の好きなことをやる時間を増やしてストレスを解消しよう」という思考に至ったのですが、今度は寒すぎて布団の外に出ることができません。何重苦なのか分かったもんじゃないですね。
しかし、ここで私は天啓を受けることになります。
「寒いのなら重ね着をすればいいじゃない」と。これは画期的、すばらしい発想です。
普通の人が毎年冬に当たり前にやっているであろう寒冷対策は、私にとっては神からの啓示にも等しいくらいに貴重な発想なのです。
毎年晩冬になってから「そういえば重ね着ってあったな」となるのです。
手袋を使うとかの発想に至るのも大抵は年が明けてしばらくしてからですし、手袋のような使う季節が限られている小物を私が紛失しないはずがないので、毎年の如く買い直しては、2か月と経たずに使わなくなります。
そしてまた失くすのです。彼らもまた、片方だけの靴下たちが眠る墓場へ行くのでしょう。
流石に服は失くしませんから(気づいていないだけで着実に数を減らしているのかもしれませんが)、重ね着をすることは容易でした。そもそも寝間着を二枚使えばいいだけの話ですし。
重ね着をして暖かくなると、今度は局所的な防寒も試みたくなってきます。
手袋はできません。パソコンをいじるにもゲームをするにも邪魔ですし、第一片方だけしか見つかりませんでした。逝ったんでしょうね。
となると、次に気になるのは首です。首元の寒さというのは全身に響きますから、ここは死守したいところです。
一昨年ごろに祖母が送ってくれたマフラーがどこかに眠っているはずなので、そいつを探しました。
はい、探しました。ありませんでした。無念です。
「探した」とは言っても「使ったらここに置くだろう」と思しき場所周辺の段ボールをひっくり返したりしただけですが、鬱と低気圧に苛まれている身で部屋全域を捜索するのは不可能です。
部屋の中をうろちょろして諦めただけということです。1.3mくらい。
祖母を訪ねて三千分の一里、再会は叶わず、「動いてたら首元気にならなくなってきたからいいや」で短い旅は終わりました。
また体力のあるときにでも再捜索を試みることにしましょう。
そのときはもう冬も終わろうとしているかもしれないし、もはや春とか夏とかに発掘される可能性もあります。
それでもいいので、せめて次の冬まで紛失しないでいてほしいですね。
また旅にでなくてもいいように。